「自然光で撮る」:木漏れ日

lighting

「花」の写真は、私の専門外ですが、機会があって、3年ほど連載で花の写真を撮っていたことがあります。花の写真といっても私の場合は、野に咲く花をそのまま撮るのではなく、主に室内で生け花やフラワーアレンジメントの写真を撮っていました。
ある盛夏の早朝、杉並区の某公園で、野に咲く「さぎ草」を、咲いているその場で生けて撮ることになりました。
生けていただいたのは、故安達瞳子先生。
先生と構成を相談しながら、ポラを切りながらアングルや花の位置を微調整していきました。
背景に水をが見えるという条件で、公園内の湿地で、木漏れ日があたる場所を探しました。木漏れ日をうまく使うと、被写体を魅力的に写すことができます。ただ、木漏れ日だけだとコントラストが強すぎて、光が当たったところ意外は、暗く落ちてしまう場合がほとんどです。木漏れ日が当たっているというよりは、スポットライトが当たっているという感じに写ってしまいます。そこで、レフ板等を使いながら、柔らかな光を補ってやることが必要です。それで初めて、肉眼で見る木漏れ日に近い感じになります。
この撮影の場合、木漏れ日が当たり、背景に水が見える場所は、三脚を立てることがちょっと不可能な湿地の中。花だけに光が当たるようにをレフ板の位置を探り、中型カメラ(マミヤRZ67)を手持ちでビデオカメラを担ぐように構え、サーカスみたいなポーズで本番となりました。
絞りは開放。シャッタースピードはぶれる限界ぎりぎりでした。
写真下は、書籍の仕事で、ある陶芸作家の作品を、森の中の木漏れ日を利用して、木株の上にアレンジて撮ったものです(Nikon F4)。木陰の光のようにソフトな光でこのような陶器を撮った場合には、フラットで少し沈んで立体感のない上がりになってしまうことが多いのですが、木漏れ日や、樹間から差し込むスポット的な光をうまく使うと、被写体に俄然、表情が出てきます。この写真もレフ板を使って光を補っていますが、レフ板を使った補助光がなかったら、かなりコントラストが強く、ある部分だけスポット的に浮かび上がり、その他のディティールがつぶれた写真になってしまいます。
木漏れ日や、水面に反射した光は、なぜか人の情感に訴えるものを持っています。自然の中で撮る場合、意識してそのような光を利用するのも美しい写真を撮るテクニックのひとつだと思います。また、自然光やストロボを使った室内の撮影でも、鏡やフェロタイプの金属板を使ったり、ストロボの光源の前に様々な模様のスリットを配置することによってhttp://www.calumetphoto.com/item/RC8031/
木漏れ日のような光を演出することができます。人物撮影でも、ブラインドから漏れた光が顔や裸体に写り込んだ写真等は、我々に「何か」を感じさせます。機会があったら積極的に利用していきたい「光」です。

 

コラム

※現在、デジタルカメラで撮られた写真は、通常、JPGかTIFのファイル形式で保存されていると思います。新聞社や出版社、ストックフォトに保管されてあるデータも恐らく、この2タイプでしょう。テクノロジーは予測つかないスピードで発達するので、将来、もっと優れた保存形式が登場するでしょう。勿論、JPGやTIFから、その新しい保存形式に変換はできると思いますが、いずれ既存のファイル形式を再生できるデバイス類は無くなるので、膨大な量の写真データを変換する必要が出てくると思います。また、現在、一般的な保存媒体は、CDROMかDVDROMですが、この媒体の耐用年数は不明です。実は、私が1980年代に購入した音楽CDROMの中の幾つかは、再生不能になっているのです。明らかに、磁気が劣化して読み込みができないようです。もし、半永久的に保存出来る媒体ができたとしても、将来、それを再生する機器が生産され続けると考えにくいと思います。ハイテク技術は、ものすごいスピードで進化し続けるからです。
そうすると、デジタル媒体は、「長期保存には不適」だと言わざるを得ないと思います。
現在検証可能で、長期保存に適している反射原稿媒体、それは、銀塩、プラチナ、およびアルブメン等のアーカイブ用プリント以外にはないでしょう。インクジェットプリントが何年保つかは、まだ、その媒体(長期保存用ペーパー)が本格的に登場して10年も経っていないので、不明です。あるメーカーでは「100年プリント」と喧伝していますが、それが事実かどうか判断できるには、数十年は、経過を見る必要があります。
警察が関わっている重大事件の現場写真は、ポラロイドで撮るそうです。ポラロイドだと、改ざんができないというのがその理由で、デジタルで撮ったデータだと、悪意のある関係者が画像処理を施して、改ざんしてしまうことが出来るからでしょう。あと、史跡発掘の現場等でも、同じ理由でポラやネガを使っているという話を聞いたことがあります。こうなると、デジタルは、「信憑性、事実性」が求められる媒体には不適だということができると思います。デジタルの特長である利便性や経済性と引き換えに犠牲になったものは大きいと思います。